VRはゲームでばかり注目されているので、遊びやエンターテイメントのための技術だというイメージを持っている方が多いのではないでしょうか。ですが、VR技術はゲームや動画だけではなく、様々な分野での応用が進められています。
その1つが、医療です。医療分野では手術や精神疾患の治療、痛みの緩和など、すでに多くのシーンで利用されており、現在もその研究が進んでいます。ここでは、その活用事例をいくつか取り上げてご紹介します。
VRの手術での活用
手術中にVR技術を使用することは医師と患者の双方にとって大きなメリットがあります。医師の手術が正確かつ迅速なものになることで患者の身体への負担が非常に小さくなるためです。VRは手術中の医師のサポートをするだけでなく実際の手術を基にしたシミュレーションをすることで医学生たちが手術の疑似体験をすることも可能です。実際に確認していきましょう。
手術シミュレーション・ナビゲーション
手術は絶対に失敗の許されない一発勝負です。そのため、患者はもちろん医師にとっても非常に負担のかかる医療行為です。
しかし現在、患者の3D-CT 映像を基にした解剖図を使用してVRで手術前にシミュレーションをする手法が研究されています。精度の高い事前準備が可能になることで、手術本番の負担が軽減できます。
また、3D解剖図は手術中にも利用可能です。例えば透過性の高いMR(*)デバイスである「HoloLens」を執刀医が装着して手術を行う手法があります。VRとして表示される患者の身体を確認しながら、実際の患者の術野も見ることで周辺の奥行きや立体感などの空間情報を認識可能になります。奥に隠れている血管など、不可視の情報をコンピューターが提示してくれることで不慮の事故が起こる可能性を低減することもできます。
さらに、AR(*)技術を使うことで事前に作られた手術計画を視界に表示し、その計画に沿って手術をすることが可能です。
このようなシミュレーション、ナビゲーション技術を用いることで手術の正確性を強化し、医師、患者双方へのストレス軽減が可能なのです。
*MR(Mixed Reality:複合現実)やAR(Augmented Reality:拡張現実)の意味やVRとの違いについては、以下の記事をご参照ください。
【参考記事:VRとは?その意味とAR、MRとの違いについて】
手術のトレーニング教育
VRは医学生の教育にも有用な技術です。手術映像を360度カメラで撮影し、その映像を基に作られたVRで手術シミュレーションを行うことが可能です。実際に手術を行っているような体験ができることで、技術的に未熟な学生であっても手術の経験を積むことが可能となり、精度の高い教育をすることができます。
次に、カナダのConquer Mobile社が開発したVR医療シミュレーターの動画をご紹介します。
以下は米国教育省が主催する賞金制コンペ「EdSim Challenge」で優勝した「Osso VR」の手術シミュレーターの動画です。
このように、VR技術によって、本来は教育側の都合に合わせて経験することができなかった手術が何度でも疑似体験できるようになっています。
VRによる精神疾患の治療
手術以外の部分にも多くの治療法にVR技術は使用され始めています。そのうちの一つが精神疾患に関するものです。精神疾患は自己の体験に基づく症状が多いため、体験に直接作用するVR技術は非常に効果の高い治療が可能になると期待されています。実際にどんな場面でVRが用いられているのか確認してみましょう。
戦場のPTSD治療
PTSD(心的外傷後ストレス障害)はショック体験や強烈な精神的ストレスを感じることでその経験に対してその後も強い恐怖を感じるようになってしまう症状です。
死と隣り合わせの状況である戦争を経験した軍人の中にはPTSDを発症してしまう人が多く、イラクやアフガニスタンの戦争で戦った兵士のうち、11%から20%がPTSDを経験しています。このような人たちの治療方法としてVRが利用されており、従来の治療よりも良い成果をあげています。
PTSD患者はトラウマとなっている出来事を回避することで一時的に安心することが多いのですが、それを続けていても根本的な解決にはなりません。そこで患者ごとに異なる戦闘地域での経験をVRで体験することで治療するという手法がとられます。
このVRでは視覚、聴覚、嗅覚に直接働きかける体験を提供することでよりリアルな体験に近づけます。治療は医師の立会いの下で行われ、患者の心拍数など、状況に応じて体験のレベルをリアルタイムで変えていくことも可能です。
安全な場所で患者の根本にある恐怖体験をすることで原因を直接取り払ってしまう方法で、ハードな治療になりますが、その分効果も大きいのです。
うつ病の治療
続いてはうつ病のVR治療についてです。うつ病患者は自分を強く責めてしまうことで自分に対して批判的になり、その結果精神を病んでしまう傾向にあります。これらの人々のためにVRセラピーが施されました。
このプログラムでは、参加者は自分のアバターをVR空間内に表示し、泣いている子供を慰めます。そして子供が泣き止むと今度は自分が子供の視点になり、自分のアバターに慰められるという体験をします。
実験参加者のうつ病患者は週に1度この体験をし、1か月後には参加者全体の6割が症状を和らげることができたと話し、さらに約3割の患者は臨床的に劇的な改善が見られました。子どもを慰める言葉を自分で聴くことで間接的に自分を慰めることができる治療法で、体験後は現実世界の出来事に対して肯定的になり、症状が改善するのです。
家庭でもVR体験ができるようになってきている現状で、このVRセラピーにはうつ病対策として非常に大きな期待が寄せられています。
対人恐怖症・高所恐怖症の治療
先述したように、安全な場所で根本的な恐怖に直接作用する体験をすることは、恐怖の克服に対して非常に強い効果があります。この療法においてVRは最適な技術であり、身近な恐怖症である、対人恐怖症・高所恐怖症の治療にも利用されています。
対人恐怖症の患者は面接、会議、カラオケなどをVR体験することで恐怖の克服を図ります。
高所恐怖症の患者に対しては展望用エレベーター、崖、高層ビルの屋上、飛行機などのシチュエーションをVRで用意します。
そのほか、閉所恐怖症、蜘蛛恐怖症、など多くの恐怖症に対してのVR体験も考えられており、VRは今後より身近な恐怖症対策になっていくでしょう。
VRの仮想体験による痛みの緩和
自身の感覚に影響を与えるVR技術は精神的な原因から発生する痛覚に作用し、痛みを緩和できるものと期待され、研究も進んでいます。実際に使用されているものの代表的な例として、幻肢痛と全身やけどの痛み緩和をご紹介します。
幻肢痛の緩和
事故などの理由により手足を切断した人に、実際には存在しないはずの手足とその感覚が存在するように感じられる幻肢という感覚が発生することがあります。その幻肢が痛む不思議な現象は「幻肢痛」と呼ばれています。幻肢痛を感じる患者の多くは脳内で幻肢を動かすイメージができず、そのために痛みが発生すると考えられています。
イメージを作り出す手助けをするために、ヘッドマウントディスプレイに出力したVR空間に左右反転させた手を表示するシステムが開発されました。VR空間内では、患者は痛みのない方の手を動かすことで幻肢を動かしている仮想体験をすることができます。この経験を通じて幻肢痛が和らげることが可能となりました。
体験の拡張が可能なVRならではの試みと言えます。
全身やけどの痛みの緩和
VR体験が全身やけどの痛み緩和にも効果があることが報告されています。ワシントン大学の研究室で開発された「Snow World」はその名の通り雪景色の仮想世界に没入することで痛みを軽減できるVRゲームです。非常に幻想的な美しい雪景色が特徴的なゲームで、プレイヤーはその景色とVR空間内の探索に没頭することができます。
重度のやけど治療には激しい痛みを伴う創傷部分のケアが必要になりますが、ケアの最中にSnow Worldの世界に没入し、別の事に意識が集中することで痛みを軽減することができます。意識することで痛みが強くなる感覚を逆手に取った技術と言えます。また、雪景色の世界は非常に涼しい印象を視覚的に与えるので、やけどに対しては大きな効果があります。
実験では全身の33%という広範囲にやけどを負った患者も治療中の痛みがかなり軽減したという結果を示しました。
没入感を利用することで痛みなどの不快な感覚から意識をそらす効果も、VR技術は持っています。
統合失調症や認知症患者の理解促進
VR技術の大きな特徴の一つに「体験の共有」があります。実際に他者が体験した出来事を、自分が体験していないことでも疑似体験可能になるということです。もちろん逆に自分の体験を他者に経験してもらうこともできます。
VRのこの特徴を利用して、統合失調症や認知症患者の幻聴や幻覚といった症状を多くの人々が体験することができます。そのつらさを共有し、健康な人々の間で病気の人に対する理解を深めることが可能です。
直接的な治療ではないですが、VRを利用した社会全体の意識改革につながる可能性のある発想です。
VRの医療現場への応用の未来
VR技術は医療現場の様々な場面で積極的に利用されることが期待されています。
医師の立場から見ると、主治医のもつイメージや情報をVR空間内で閲覧・操作可能にすることでより正確な情報を医療スタッフと共有できるようになり、先述した手術時の情報の可視化なども可能になります。
また、一度VR空間内で情報を可視化してしまえば、ネットワークを介して遠方の医師や専門家と情報を共有し、共同で治療戦略を考えることもできます。さらに、VRの遠隔技術を用いて遠く離れた場所で行われている手術にリアルタイムでアドバイスすることや、ロボットを遠隔操作することで直接手術することも可能になるでしょう。
患者側にとっても利点は多く存在します。例えば可視化された情報を見ながらであれば、医療技術について素人の患者でも医師の説明が非常にわかりやすくなります。VRを利用して情報をわかりやすい形で医師・患者間で共有し、自宅で医師と携帯端末を介して経過管理や生活指導を受けることができれば、高齢者など外出の負担が大きい人にとって非常に便利な医療ツールとなるはずです。
また、入院中の患者に大部屋にいても個室にいるような環境や自宅の様子を提供することで、精神的安定を生み出すことも可能になるでしょう。
少し例を挙げるだけでも、多くの利点が存在することがわかります。遠隔診療などにはある程度の法的整備が必要とされるものもありますが、将来的には積極的に導入されていくこととなるでしょう。VRは医療従事者や患者にとって不可欠の技術となっていくはずです。
まとめ
いかがでしょうか。ゲームや動画でばかり取り上げられがちなVRですが、医療分野だけに焦点を当ててみても非常に多くの可能性を秘めた技術であることがお分かりいただけたのではないでしょうか。少しでも早く医療現場にVR技術が存在するのが当たり前のこととなるように、現在も多くの研究と開発が行われています。VRは私たちにとって医療をより身近で心強いものにする手助けをしてくれるようになるでしょう。